中間領域

実家のある猪名川町に突如ゆるキャラの石像が。(いなぼう君)
夜中の静かな道で、誰にも見られていないのに、笑顔で立っているのを見るのは何とも複雑な気持ちになる。
いなぼう君が誰と出会い、どんな出来事が生まれ、どんな町をつくるのだろう。
訪れる人、そこに住む人を豊かにする出来事は、いなぼう君が笑っているだけでは生まれない。

そんなことを考えながら先日、藤浩志さんが言っていた「境界面」についての言葉を思い出す。
国と国や就学と就職の関係のように、Aという要素とBという要素の間にこれまであったのは「線」や「点」。
その点や線を「面」として考えてみることで新しい可能性が見つかるかもしれないという内容。
つまり、曖昧な存在として捉えられていた中間領域をしっかりとした領域として捉えてみるということ。

そこで田舎や地域について考えてみる。。。

これも藤さんが言っていたことだが、田舎や地域や島には、人が動いても給料が発生しない「作業」がたくさんあり、人が動く事で給料が発生する「仕事」がない。
でも今必要なのは「作業」か「仕事」ではなく、それらの間の領域。
作業を効果的に、継続し、連鎖していく「仕組み」こそがその中間領域。
作業は人を繋げて豊かにしてくれる。だからそれを一時の豊かさで終わらせてしまうのではなく、「仕組み」に変えることで連鎖が生まれ、新しい何かが生まれるんだと思う。
僕自身もそうだが、田舎や地域のまちづくりも、いつの間にか「こうしなくてはいけない」「こうだろう」という常識なようなものに束縛されてしまう。
そこから解き放たれることが、今の田舎や地域が次に進む新しい出来事を起こす上で最も必要な気がしている。
そして、その中間領域を考え実行する場や機会ができればいい。
若い人の頭には“アイデア”が詰まっている。もっと声をかけていくべきだと思うのだが、その行為自体が町にとっては束縛からの解放になるのかも。
今は世の中はそのような中間領域の価値が注目されているという事例がたくさんある。ビジネスや町つくりにも活かされている。
曖昧なモノゴトに力を入れるのには勇気がいるけど、今こそ見るべきことはそこに可能性があるという事実。
これが実現できれば、いなぼう君の笑顔もみんなに変わって見えるかもしれない。


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